益田ミリ著『ちょっとそこまでひとり旅だれかと旅』 と大人の世界
- 2018/06/29
- 19:00
益田ミリ著
『ちょっとそこまで
ひとり旅
だれかと旅』

子どものころのわたしは、早く大人になりたいと、そればかり考えていました。
いじめがつきものの子どもの世界。
いじめる人やそれを見て見ぬふりをする人たちは、子どもだからだと思っていました。
子どもじみた世界から抜け出して、一刻も早く大人の世界にいきたかった。
ミリさんのようにビームを送ってくれていた人の存在が子どもの頃のわたしの周りにもあったのだろうなと、いま思います。
きっといた気がします。
だからこそ、やってこれた気がする。
大人になったわたしは、大人の世界にも子供の世界が存在することを知りました。
驚いたし、ちょっとがっかりもしましたが、どちらの世界に身をおくかは自分で選べるということも知っています。
だから、やっぱり、子どもの頃恋い焦がれた大人の世界に今いることが幸せです。

明日も好い加減で(^^)/
★益田ミリさんの本もいろいろ。ほかの本もいろいろ。
『ちょっとそこまで
ひとり旅
だれかと旅』
反省し、腹ごなしにちょっと歩く。奈良公園には修学旅行中の中学生がわんさといて、エサを欲しがる鹿に付きまとわれてワーワー騒いでいた。
立ち止まってその集団をじっと見る。すると気づくのだ。ひとりでいる子。どのグループとも交わっていない。鹿も、奈良公園も、きれいな夕焼けも、お土産物屋さんも、あの子にとってはどうでもいいものなのではないか。この行程をたんたんとやり過ごすことがすべてなのだ。
早く「大人」という場所に逃げておいで。
なにもできないわたしは、彼に、彼女に、ビームをおくった。大人になれば少しだけ自由だよ。ひとりで旅に出たって平気だよ。
~同著より~

子どものころのわたしは、早く大人になりたいと、そればかり考えていました。
いじめがつきものの子どもの世界。
いじめる人やそれを見て見ぬふりをする人たちは、子どもだからだと思っていました。
子どもじみた世界から抜け出して、一刻も早く大人の世界にいきたかった。
ミリさんのようにビームを送ってくれていた人の存在が子どもの頃のわたしの周りにもあったのだろうなと、いま思います。
きっといた気がします。
だからこそ、やってこれた気がする。
大人になったわたしは、大人の世界にも子供の世界が存在することを知りました。
驚いたし、ちょっとがっかりもしましたが、どちらの世界に身をおくかは自分で選べるということも知っています。
だから、やっぱり、子どもの頃恋い焦がれた大人の世界に今いることが幸せです。

明日も好い加減で(^^)/
★益田ミリさんの本もいろいろ。ほかの本もいろいろ。
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